「お前の夢を実現してみろ」
尾野工場の敷地は昔、田んぼでした。そこを会社で取得していました。
2月のある日、仕事が終わった後に社長が来て「新工場を作ることにしたから、8月完成で発注をかけてきたよ」と声を掛けられました。
こうして、半年しかないプロジェクトが始まりました。
新工場の建設は、本社と第二工場を一箇所にしようということと、とくに第二工場でやっていた仕事が人海戦術になっており、人件費の割に利益があがっていなかったので、この人数を半数移動しても稼動できる工場にしようということが目標です。
すぐに工場建設が始まりました。「まずは入口をどうしましょう」と、建築設計からの問合わせが入りだしました。
レイアウトが決まられなければ入口は決まりません。まだその時点では、どういう設備を入れ、どうレイアウトしたら人が減らせるのか誰も担当していなかったし、誰も決められない状況でした。
社長から言われたのは「お前が夢だといっていた無人化、効率化のレイアウトを実現してみろ」という指示のみ。実現しろと言われても、頭の中にはまだ設計はありません。建築設計からは矢の催促が入ります。
まずは、大体の大きさを決めなくてはなりません。大きく四角や○のレイアウトを書き、スペースを考え始めました。
設置する機械は決まっています。これを効率を考えたレイアウトにして、更に自動化しなくてはなりません。目標は省力化なのですから。
既に本社では実現していましたが、規模が違う大きさの新工場の中で、社運がかかったプロジェクトの責任者になっていました。大枠のレイアウトが出来た時点で、社員の中からもアドバイスが出始めたので、それも取りまとめていきました。
そこまで来てやっと建築設計に入口の場所を指定することが出来ました。
次にお金です。銀行に借り入れを起こす見積もりをしなくてはなりません。夢の実現と、出来るだけ低コストでの資金という、相反する両面での計算が肩にのし掛かってきました。
建屋が出来てくると、今度は更に詳細な指示を出さなくてはならなくなります。そういった全ての判断を一人で担当して来ました。本当に失敗が出来ないという重圧を経験しました。
「尾野工場は現在の主力工場」
当社の80パーセントの生産を担っています。それは効率の良い稼動が故ですが、このプロジェクトの半年間の努力の賜物だと自負しています。
この工場ができたことにより更にスズキさんの要求に応えることが出来るようになりました。
「本稼動は建築開始から1年」
この大規模工場の建設にはかなりの反対意見も聞かれましたが、既に第二工場は稼動も限界で、このプロジェクトを成功させる事が急務でした。
生産が始まるとスズキさんからも関係者が見学に多数訪れ、ユニオンパーツ工業の生産ラインへの取組みが高く評価されました。その時は、本当に報われた思いでした。
品質も含め、ラインの効率化という物流面での取組みが高く評価されました。
物流は、スズキさんでもテーマであったようです。普通はどこでも入口と出口だけがある工場なのですが、尾野工場はラインの効率化の為に壁まで抜いたレイアウトにしていたのです。
つまりこの新しい取組みが、建屋ありきではなくライン主導の建物という尾野工場の特徴なんです。
「中子製造の中でライン化しているのも初めてのこと」
そこには省力化のテーマがしっかり見えていました。レイアウト的に、無駄話をするほど近過ぎず助けてもらえる距離、というテーマも盛り込んであったんです。
作業者の事や現場でのコミュニケーションの事まで考えていたんです。
工場が完成し、スズキさんが見学にいらっしゃいました。建設途中でもいろいろとアドバイスを頂きましたが、それ以上のものが出来上がっていたと高く評価頂けました。
言い方は悪いのですが、悪く言われ続けてもなにくそという精神で取り組んでいった成果だと自負しています。
「ユニオンパーツ工業とは」
「やりたいことをやりなさい」と言ってもらえる会社。口出しも指示もせず見ていてくれます。
その反面、責任は重くなります。自分でしっかり結果を出さなくてはなりません。
プロジェクトに細かい提案や稟議などがいらない会社でもあります。即断即決なんです。小回りが本当に効く会社だと感じています。
今日は会社にいる。けれど明日来るかは分からない。常に責任を取って辞める覚悟で仕事をしています。
当社はそれが出来る会社です。また、それでなくては仕事は出来ないと思います。
常に責任を自分を感じています。それが社長との唯一の契約です。
会社に対してより、社長に対しての精神的な繋がりが心の支えです。
やりたいことに対して予算をざっと出し、回収時期を伝える。あとはそれを始めるだけです。
社長は見るところが違う。能力も大切だけど、それ以上にその人間と、その人間のやる気を見てくれます。
それで出来上がっているのが現在のユニオンパーツ工業なんです。
そして、これがスズキさんを支える我々の会社です。
ある日スズキさんの工場長が言われました。「社内でいくらゴタゴタしてもいい(改革にはゴタゴタがあるものです)、ただし絶対にスズキのラインは止めるな。もし何かあったら私が責任を取る」、と。
その工場長の男気に応えるために、何があっても絶対ラインは止めません。これは今までずっと守って来ています。
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